ヤマイママとマメ3つ

子宮頸がん・全前置胎盤・アレルギーなど数多くのヤマイと戦うヤマイママと家族の記録

ヤマイママとマメ3つ

【ALS】母の最期①

こんばんはヤマイママこと宇佐めぐみです。

 

お久しぶりの投稿ですね。ひよこ豆さん(実母)が他界して4ヶ月。未だ実感できずにいます。

 

でも、これを書かないと前に進めない気がして記事にすることにしました。

 

現在闘病中の皆さん、家族のみなさんにはショックを与えてしまうのではないかと書けずにいました。

 

でも、ひよこ豆さんの楽しかった思い出を書くために辛かったことも書きたいと思いました。

 

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3年近く戦ったALS-筋萎縮性側索硬化症-たった3年で命を奪った恐ろしい病気。

 

「神は乗り越えられる試練しかあたえない」

 

こんなもの乗り越えられるわけがない。神様も仏様も、もう信じることは出来なくなった。

 

ALSに負けた…最後まで戦った。

負けた勝ったで表現するのはおかしいかもしれないけれど、負けたと思った。勝てないと分かっていたけれど最後まで精一杯戦った。

 

最後の2ヶ月は本当に辛かった。日に日に筋力が衰えて1人で立つのもやっとになり、トイレもポータブルで介助が必要になり、1ヶ月前には2人介助じゃないと危なくなったのでまとめて睡眠をとることもできなくなった。

 

だんだん血液中の二酸化炭素が増えていき息苦しさを紛らわすためにオプソ(医療用麻薬)を使用するようになった。それでも母は苦しそうで、ipadでゲームをしたり筆談したりする事も減ってきた。

 

胃瘻からの注入、薬の注入、トイレ介助、朝の訪問看護、そしてまた注入と父と2人でこなすのも限界に近かった。ケアマネさんにSOSを出してヘルパーさんを頼んだ。父は嫌がったけど今後のことも考えて私が頼んだ。

 

でも結局ヘルパーさんが入って2週間くらいしか生きれなかった。

 

 夏はこせないだろう

先生はそう言った。8月の夏休みには姉の一家も遊びに来ることになっていた。でもそれまで持たなかった。7月初めに容態は急変した。

 

急変に気づいたのはヘルパーさんだった。

 

その日は深夜のトイレ介助も多くて、母も寝付けないようで私は睡眠不足から無愛想な態度をとってしまっていた。

 

私はそれをひどく後悔することになる。

 

急いで訪問看護に連絡して来てもらった。意識は無く酸素濃度も低下。全身汗でびっしょりだった。

 

リクライニングチェアに寝ていたのでベッドに移して着替えも手伝ってもらった。往診にきてもらいこのまま目が覚めないことも十分ありえると言われ急いで兄姉に連絡した。

 

すぐに兄がかけつけ、遠方の姉も来てくれた。それでも母は目覚めず額呼吸で口がカクカク開く状態だった。こまめに医療用麻酔を使い、なんとか母が安らかに苦しまないよう出来る事をした。

 

 奇跡の後にあるのは絶望だった

夕方の訪問看護の前に母も信頼していた看護師さんが顔を見にきてくれた。

 

お世話になったPTさんや保健所の担当さん、卓球を一緒にしていた友人やたまたま近くを通ったと来てくれた10年以上会っていなかった友人などびっくりするタイミングでたくさんの人が来てくれた。

 

17時。訪問看護の方が来てくれた時に母の手が動き、まぶたが微かに開いた。

 

「お母さんお母さん」

 

父と兄姉みんなで声をかけた。母の意識が戻った!奇跡だと思った。この時だけは神様の存在をもう一度信じた。

 

「お母さん今朝は冷たくしてごめんね」

 

母に謝ることができた。感謝の気持ちもいっぱい伝えた。

 

でも母はこのひと時が幸せだったから、辛い現実に耐えられなかった。

 

ただただ辛くしんどい体に心が折れてしまった。

 

長くなってしまったので後日に続く…